ガテン系ITおじさんのつぶやき

多趣味で虚弱体質なおじさんのつぶやき

おじさんの野球好きな話(その2)

福岡にプロ野球が戻ってきた!・・・けどね・・・。

南海ホークスダイエーホークスとして福岡にやってきた当時、おじさんはライオンズファンでした。
せっかく『おらが町のチーム』ができたんですが、ファン心理というのは複雑ですね。
すぐに切り替えというわけにはいきません。
当時、ライオンズの中でも「秋山幸二」さん、「東尾修」さんが特に好きでした。
秋山選手については気持ちのいい弾道のホームランや、走攻守が揃っているところはモチロン、ホームラン王が取れそうで取れなくて、もどかしくハラハラとさせてくれるところも良かったです
東尾選手は、140km/hにも満たない球速ながら打たせて取る芸術的な投球が良かったですねぇ。

「おらが町のプロ野球チーム」を応援するだ!

そうこうしていると、本拠地として『日本初の開閉式ドーム球場』が完成し、大ファンだった秋山選手がまさかのトレードでホークスに入団したり、あの『世界のホームラン王 王貞治』さんが監督に就任したりして、とにかく驚きのニュースが度々飛び込んで来たのです。
こうなると、せっかくある『おらが町のチーム』を応援しようという気持ちになってきます。
ただ、当時はまだまだ弱かった。
連敗が続いている時なんかは試合のない日は「ああ、今日は負けなくて済む・・・」と思うことがあるほどでした。
その後、秋山さん、王さんによる選手の意識改革があったんだと思います。
小久保さん、松中さんなど有望な選手もたくさん入ってきて、1999年に悲願の初優勝を飾りました。
優勝が決まった試合は球場へは行けず、自宅でテレビ観戦してました。
選手のみんなが王監督を胴上げをしている映像を見ながら、当時2歳だった長女が訳もわからず満面の笑顔で「バンザーイ!」とはしゃいでいた事を今でもよく覚えています。(^^)
モチロン、福岡の街はまさに大フィーバーでした。

その後、毎年のようにAクラスにもかかわらず、優勝した年もプレーオフで敗退するという、もどかしい時代が続いてました。
確か2004年だったと思いますが、対ロッテのプレーオフ終戦福岡ドームに観戦に行きました。
座席はホークスファンのど真ん中のライトスタンドでした。
リードされて迎えた9回、最後の打者の川崎宗則選手が内野フライに打ち取られてプレーオフ敗退が決まった瞬間超満員のドームが10秒近く静寂に包まれたことをよく覚えています。
はるか遠くのレフトスタント上部に100人位いたロッテファンの歓声が遠くにかすんで聞こえていました・・・・。(´;ω;`)

再びホークス身売りの衝撃

また福岡からプロ野球が消える・・・?

その年のオフ、親会社ダイエーの経営不振に端を発した騒動の末、球団が『ソフトバンク』に譲渡されました。
おじさんたちファンは、
『また九州から球団が無くなってしまうのか・・・』
と絶望したものです。

2018年撮影の「PayPayドーム」 当時は『ヤフオク!ドーム』でした。

孫オーナーの粋な計らい

しかし、オーナーの孫正義さんの計らいで本拠地は福岡に置いたまま、球団名は『福岡ソフトバンクホークス』とし、もはや県民歌と言っても過言ではない(?)応援歌『いざゆけ若鷹軍団も最小限の変更(歌詞が「ダイエー」 → 「ソフトバンク」)のみと、嬉しいニュースでした。
「金は出すけど口は出さない」オーナーというところもイイですね!(^^)
さらに孫さんは野球少年だったらしく、優勝した時にグラウンドに出て行って満面の笑顔で胴上げされたり選手たちと一緒にビールかけに参加してはしゃぐオーナー、初めて見ました!(笑)
ビールかけは俺のおごりだー!!」って感じでしょうね(笑)
そんなオーナーの熱意もあり、球団は強くなっていきます。

黒字経営のプロ野球球団誕生!

さらには12球団No.1の選手年俸が良く話題に上がり「金満経営」などと揶揄されますが、現在のホークスは親会社からの資金援助なしで単体で黒字経営という、今までのプロ野球球団の経営からすると信じられない状態なんですよ!
自分たちで稼いだお金で頑張った選手にたくさんの給料を払う、これのどこが金満経営なのかと言いたいですね。ホワイト企業の鏡でしょ?!

7回裏恒例、「いざゆけ若鷹軍団」からのジェット風船

最後に

とまあ、こんな感じでおじさんの野球好きは現在に至っています。
はやいところ新型コロナウイルス感染が収束して、安心して球場に足を運べる日が来る事を心から祈ってます!!

では、また!