ガテン系ITおじさんのつぶやき

多趣味で虚弱体質なおじさんのつぶやき

おじさんのお仕事遍歴の話(その1:学生編-Part1)

今日はおじさんのお仕事遍歴をば少々・・・・と言いたいところですが、お仕事に就くまでも就いてからも、自分でいうのもなんですが、なかなかに波乱万丈な雰囲気がありますので、何回かに分けて、学生編からスタートしてみます。

高校入試

プロフィールにもある程度記載してますが、もう少し突っ込んだお話をば。
おじさん、高校は「家から一番近いから」という、何と言うか自分の息子であれば、小一時間正座させて説教したくなるような理由で、「国立北九州工業高等専門学校」という、なかなかにパンチのきいた字面の学校に入学しました。
本当はもう一つ、友人と一緒に勉強を教わっていた家庭教師のお兄さんが、同校の電気工学科4年生で、事あるごとに「高専は自由でいいよー」「授業料安いから親孝行になるよー」(授業料はもちろん、受験料も公立高校の1/10と激安、さすが親方日の丸!!)と、「かつての名捕手野村克也さん」の様にささやいていたことも多少なりと影響していると感じてはいます。

という事で、第一志望は「電気工学科」、第二志望は特に希望は無かったので、一番入りやすそうな「化学工学科」にしました。
因みにですが、当時の北九州高専の偏差値は、おぼろげな記憶ではありますが「電気工学科:65くらい」、「化学工学科:56くらい」だったと記憶しています。(正確な記録があれば教えてください)
当時のおじさんの偏差値は、調子が良くて56・7位だったので、電気工学科はおろか化学工学科も安泰ではなかったので、電気工学科は『よほどの「何か」が起こらない限りは無理』ということは理解していました。
で、結果は、『運よく化学工学科に引っかかった』といった感じでした。
しかしそこは子供です、根拠もなく「なんだか奇跡が起きそうな気がする」なんてゲロ甘な考えが頭のどこかにあったため、合格したことは嬉しいものの何だか納得いかないというかスッキリしていないという精神状態でした。

それでも、公立高校の受験日前に合格発表があった為、早々に受験勉強から解放されて、周囲の同級生がこれ以上ないくらいにピリピリしている中、一人で遊びまくっていました。
因みに、公立高校の受験日に「面接」が設定されていたのですが、入学希望者は出席必須でしたのでここで「高専or公立」を選択するといった意味合いもあったようです。
面接の内容は、入学志望者を一堂に集めて、名前を呼ばれたら返事をして終わりという、「前の日に何を聞かれるのかドキドキして眠れなかったあの緊張感をどうしてくれる!」といったものでした。

国立高専に入学したが・・・・?

さて、そうして入学した高専でしたが、当時は学校自体は超体育会系(と言うよりも軍隊的?)で、上級生のいう事は絶対といった校風でした。(あくまでも当時は)
強いて言えば1・2年生は奴隷、3年生一般市民、4年生が官僚、5年生は神様・・・と言った感じの雰囲気ですかね。いきなり面食らってしまいました。
高校でいうところの「生徒会」にあたる「学生会」(「生徒会」ではないところに注目)が最高権力機関の様な感じで、4年生の学生会が仕切っている形でした。(5年生は隠居でした)
そんな学校の雰囲気と、学年に女子が一人のみ(なんと同じクラス)という、異様な雰囲気(女子がほぼいないというのは情報では知っていましたが、実際にその環境に身を置くと、まさに異様な雰囲気でした)もあり、一週間経たずして学校を辞めたくなってしまいます。
その後、両親や担任の必死の説得があったようななかったような・・・・、こんなに大事なことをあんまり覚えていない能天気なところがおじさんのいい所かもしれません。
とりあえず何とか持ち直して、部活にいそしむことになります。もちろん、授業はそっちのけです!
その続きは、また次回・・・

では、また!